ぽれぽれな感じで。

~アフリカ(ルワンダ・キガリ)での一人暮らしを中心に~

皆さんは神様を信じていますか

なんか胡散臭いタイトルですね。
青空の下で不気味に笑う男女の写真とかが出てきそう。
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結論から言うと、ぼくは神様を信じていません。
存在はさておき、いくらお祈りしようが何を捧げようが
神様がぼくを幸せに導くとは信じられない。
それってなんでなんだろうって話です。

前回は東アフリカの宗教についてポジティブに書きました。
afronabe.hatenablog.com

たしかに雰囲気や社会コミュニティとして好き。
ただしぼくとぼく以外の人たちではそもそも教会に行く動機が違う。

ぼくの動機は現地の生活をもっと知りたいってこと。
でも当たり前だけど、他の人たちは神様に祈りを捧げるために行く。
みんなに合わせて十字を切ったり、ハレルヤって言ったりするけど
常になんとなーく温度感の差がある。
まぁ行けばそれはそれで楽しいんだけど
ぶっちゃけ毎週日曜日の朝っぱら起きて教会行く気にはならない笑
それって根本的には信じる気持ちがあるかないか。

神秘的なものとか奇跡とか概念は理解してるけど
やっぱり神様がぼくを幸せに導くとは信じられない。
そういう気持ちを友人に話したりすると
「まず信じるところから始めるんだ」と。
たしかに信じれば存在して、世界を見る目が変わると思う。
それは理解できるんだけど、まず信じられない笑

今のところ世界中には神様を信じている人の方が多数派。
だけどその人たちはたぶん神様を信じようと思って信じていない。
記憶があるときからそこには聖書があって教会があって
親、兄弟、友人、親戚みんな神様を信じている。
疑いを持つことはあるにしても、前提には信じていた自分がいる。

ただ自分はその環境に生まれなくて育ってないからだって
思えれば楽なんだろうけど、自分のコンプレックスがちらつくんです。
そのコンプレックスは、ぼくは人間として浅いということ。
もしぼくがどうしようもない、死にたいと思えるような
絶望や挫折をしていたら、神様に救いを求め信じられるんじゃないか。

ぼくはかなりポジティブな人間です。
物事のプラスの面ばかりよく見えます。それはぼくの強み。
だけど逆に言うとマイナスの感情があまり湧いてこない。
人生の中で殺意が芽生えたり、絶望や挫折をしたことが一度もない。
それはお前がそこにたどり着くまで努力してないからだって言われれば
それも一理あるかもしれないんですが。

何にせよ
悲しみを乗り越えた先に本当の強さがあり
怒りを乗り越えた先に本当の寛容があり
悔しさを乗り越えた先に本当の達成感があり
死を乗り越えた先に本当の生がある。

人間ってこういうのに心動かされるじゃないですか。
そうやって自分や他人の心を動かしている人をみると
目の前がブラックアウトする。なんかさーっと引いていく感じがする。
その人がヒーローに見えて、自分は浅はかな凡人に見える。
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だからぼくが教会に行く動機として
自分では気づかないようにしているけど
実はぼくも周りの人たちみたいに自然に神様を信じ
不謹慎ですが、例えば今はとても貧しいけど、
妹のために頑張って働いてますみたいな使命とか
生きている意味を持っているような人間にあこがれる
気持ちがある気もします。

えー、まとめると
異文化に触れると今まで気づかなかったり
言語化できてなかった自分が発見できることもあるよね!って話です笑